
わたしLabをご覧いただきありがとうございます♪
山崎まほと申します。
ライフミッションサポーター、アフィリエイター、薬剤師、2児のママです。
私らしく楽しく生きる人を増やして、それを見た子ども達が「大人ってカッコイイ!」と未来にワクワクできる連鎖を作るため活動しています!
こんなお悩み抱えていませんか?
- 人生がなぜかうまくいかない、幸せになりたいのに…
- 人と比較してばかりでモヤモヤする
- 子どもや夫、周りの人にイライラしてしまう

こんなイラつきや辛さを
一人でガマンしていませんか?
実は、私も最近まで、そんなガマンしてばかりしていました。
でも、それにも限界がきていて、
だけど、どうしたらいいのかわからなくて…
「人生って修行とも言うし、ツラいのはしょうがないのかな…」
なんて諦めてもいました。

人生楽しめていなくてあきらめていた…

2019年の夏まで、私の人生は誰かに
「ステキだね!」
「まほちゃんみたいになりたい!」
なんて、言われるものとは全く無縁でした。
- 夫婦関係が最悪
- 子どもに心配ばかりして、いつもイライラしていた
- ツラいとか、本音を話せる人がいなかった
- 自分の人生は、家族のためにあると思っていた

36歳、孤独を感じながらも、
「そんなものかなぁ」と、
人生を楽しめていませんでした。
そんな私に人生を楽しめるようになる転機が!!

そんな人生を自分のものと思えず楽しめていなかった私でしたが、転機が!!

私は【ライフミッション=情熱の源泉】を見つけて、
「わたしらしく生きる人生」をスタートさせました!
どんな変化が起きたのか、
どうしてそんな風に思ったのか、
ライフミッションストーリーとしてまとめたので、
読んでいただければうれしいです。
ライフミッションストーリー:私が人生をあきらめない理由

私は、どうやったらニコニコしたお母さんになれるのかわからず、
そうできない自分が「母親失格」と思い、必死に自分より子どもを優先するイライラ教育ママでした。
でも、自分らしく生きるためのライフミッションを掘り出すことができ、自然に家族に笑顔で明るく接する事ができるようになりました。
仕事面では、ずっと薬剤師という資格が活かせないことに罪悪感を抱いていましたが、「自分のやりたいことをやろう!」と自信がもてるようになりました。
今では、わたしらしく楽しい毎日を過ごせています。

でも、
そんな風に楽しめるようになるまでには、
・自分の人生じゃなくて家族のための人生といつのまにか思っていた
・夫、家族にイライラしっぱなしだった
などなど、うまくいかないことだらけでした。
私の経験があなたの役に立ち、勇気をもってもらえたら嬉しいので、隠すことなくお話させてください。
愛情たっぷりの家庭に憧れた幼少期

私の実家は裕福なほうではなく、私は3人兄妹の真ん中っ子として育ちました。
大好きだった習い事を母の仕事・家計の都合でやめることになったり、
真ん中っ子あるあるなのですが、
いつも始めてだからと気にしてもらえるのは兄で、小さいからとかわいがられるのは妹…、
「私のことも気にしてよ!」といつも不満を持っていました。
また、家は狭く汚いアパートで、友人に知られるのがとても恥ずかしく、そんな環境で過ごすのがとてもイヤでした。
父はイベント関係の仕事をしていてあまり家におらず、母はさっぱりとした人で愛情を表現することは少ないこともあり、愛情たっぷりの家庭に憧れていました。
「私は愛情たっぷりの家族と、知られても恥ずかしくない家に住みたい!」
と、闘志をもやし、小学校高学年の頃から熱心に勉強に取り組む子どもでした。

家族に大きな変化が起きたのは、小学校6年生の夏休みの最終日。
お酒に酔った父が夜遅く突然帰ってきて、暴れました。家具を外に放り投げ、母を何度も殴りました。私はあまりの怖さに寝ているふりをして母を助けることができませんでした。
その後、父が「会社を作る」という名目で家から出ていき、しばらくして母は正社員として働くことになりました。
母は寝る時間になっても帰ってこないこともあり、心配して職場に何度も電話をかけていましたが、そのうち、子どもだけで寝ることは日常になりました。
母は父からの仕送りがいつまで続くのか不安で、必死で働いていました。
でも、当時の私には母の気持ち・苦労はわからず、母は仕事や外の世界のほうが好きで、子どものことなんてどうでもよくなったのだろうと悲しくなりました。
そして、「お母さんは、いつも仕事で忙しいから迷惑をかけてはいけないし、家では怒ってばっかりだからあまり関わりたくない。」と母と話すことはなくなりました。

中学不登校&高校中退で自己肯定感ゼロに
家族からの支えがなく不安な気持ちばかりだった私は、中学校、高校とうまくいかないことだらけでした。
中学校は部活でも、学校生活でもうまくいかず中3から不登校になりました。
唯一がんばっていたのが勉強だったのに、高校受験に失敗し、自己肯定感はゼロでした。
なんとか2次募集で入学した高校も、高2のクラス替えでひとりぼっちになり、バイトに逃げ高校を自主退学したりと、「やりきる」ことなしの中ぶらりんでした。

そんな私を救ってくれたのは、中学校、高校と通った学習塾でした。
塾では「わからないことを隠すな!」とわかるまで先生が勉強を教えてくれました。
また、高校中退後、やりたいことも好きこともなく、塾をさぼってばかりだった私のことを先生は見捨てず、進路の悩みを聞いてくれ、熱くアドバイスをしてくれました。
そのおかげで、私は大学受験を決意し、その後、大学入学資格検定をとり、現役で薬科大学に合格できました。
がんばれた自分が好きになり、自信をもてるようになりました。
夢をもてたのは…

受験の際、進路がなかなか決められなかったのですが、ある日、「アフリカのエイズに苦しむ子ども達」というようなテレビをみて、世界にはあまりに過酷な環境で暮らす子どもがいることを知りました。
当時、死の病だったエイズで両親を亡くし、兄妹だけで貧しく暮らしている子どもの悲しそうな顔が目に焼き付き、私は「エイズを治す薬を作る!」と医療の道に進む決意をしました。
また、ずっと自分の環境は恵まれていないと思っていたのに、多くのものを持っていたことにも気付かせてもらいました。
その後、私は薬科大学を無事卒業し、国家試験にも受かり薬剤師になることができました。ずっと、「自分は中卒でなにもない」と恐怖に感じていたので、本当に嬉しかったです。
薬を作る夢は金銭的な問題もあり断念したのですが、製薬会社に就職をきめ、そこで社会人・薬剤師として役にたち、私立の薬科大学にいかせてくれた母に恩返しもしたい!と思っていました。

社会人経験ゼロで子育てスタートし、イライラ教育ママに
でも、私は入社してすぐの7月に妊娠が理由で退社することになりました。
デキちゃった婚で会社には迷惑ばかりかけ「社会人失格」と落ち込み、これからどんな生活になるのかという不安も抱え、子育て生活がスタートしました。
妊娠中は切迫早産になり3カ月も入院しましたが、無事男の子を出産することができました。

子育ては楽しかったものの、周りと比べて、自分がもっていないものにばかり目がいくようになりました。
夫は新卒社会人、私は専業主婦だったのでとにかく家計が苦しく、SNSで友人がボーナスをもらったり、旅行に行っている姿がうらやましかったです。
その後、薬剤師として薬局でパートを始めてからは、自分の能力が足りないし、情熱も持てないことに気付きました。
だから、薬剤師の夫が専門知識を学びどんどん出世していくのに嫉妬していました。
私も「何かでがんばっていないと!」と焦り、それは息子に向き「いいお母さんになる」ことが私の全てになりました。
また、結婚してから夫の家が裕福で教養もあることに気付き、自分の実家が余計に恥ずかしくなり、それを隠すように息子のしつけ・勉強を必死でやりました。
外ではいいお母さんと言われていた私ですが、息子が言うことを聞かないと顔や頭を叩くこともあり、口答えした息子を蹴ったこともあります。
息子はしょっちゅう腹痛を訴えるようになったのですが、そんな息子をケアするどころか、もっと鍛えないとと思っていました。

さらに、息子が幼稚園のころ、私の兄が借金をして父に肩代わりしてもらったことがわかりました。
兄は大人が不在の家でゲームばかりしていたので、
「ちゃんと母親が見てあげないとだめだ!」
「ゲームばかりして、勉強もろくにしなかったから…私は絶対、そんな風に育てない!」
と、恐怖を感じながら、必死に息子のダメなところを矯正するような育児をしていました。
やりたいことが見つかっても、家族に迷惑をかけるのがコワイ
そんな私の子育てに少し変化がおこったのは、息子と7歳差の娘が生まれたこと、息子がプログラミングを始めたことからです。
娘は息子とちがい私の言うことを1歳から聞かず、手を焼きました。
でも、そのおかげで私は「子どもを自分の思うようにしたい」という願望が強すぎるとようやく気付きました。

また、息子が小4からロボット教室に通い、プログラミングを始め、私が全くわからない分野でどんどん成長していく姿に驚き、
「こどもを親の支配下に置かず、自由に好きなことをやらせてあげて、能力・才能を伸ばそう」と方針を変えました。
ロボットやプログラミング教室の効果に感動した私は、紹介するサイトを作り、アフィリエイトの収入を得ることができるようになりました。
私は夫の扶養を抜け、個人事業主になりました。
「いろいろな働き方があっておもしろい!」と楽しくなりました。
また、息子がチームでプログラミング大会にでるためにと、息子の友人を集めて短期のプログラミング講座のようなものを始めました。
講座は好評で、もっと本格的にやれるようになりたいと思いました。

「教室をやるために!」
と勇気を出しまくって、女性起業塾にいきました!
塾では、教室の集客、運営方法など、ノウハウをしっかりならったのに、
なぜだか行動がなかなかできず、なんとか講座を開いても、後が続きませんでした。
私は
プログラミング教室を本格的にやるには、家族に迷惑をかけてしまいそうだし…
そんな技術も知識もないし…
そもそもそんなネガティブに思ってしまうから、本気でやりたいと思っていないんじゃ…
と、どんどん自信がなくなりました。
LMCとのであい、ライフミッション発掘

モヤモヤ悩んでばかりの自分がイヤで、
「後悔したくない!自分の情熱の源泉:ライフミッションを見つけたい!」とLMC(ライフミッションコーチ)協会のトゥインクル養成講座に参加しました。
講座で、自分の過去のことをトコトン深く掘り下げました。

幼少期に寂しかった想いをしていたこと、中学・高校とうまくいかなかったことを講師や講座を受けた仲間に聞いてもらえ、恨みつらみのネガティブな感情がスッと楽になりました。
そして、私は母のことを「憧れのリーダー」にすることができ、ずっと否定してきた母の私・子どもへの愛を認めることができました!
母は60歳から保育士になったりととても活発で、私の自慢になりました。
そして、
ずっと私はなんのために、プログラミング教室をやりたいと思ったのかの答えを掘り出すことができました。
私のライフミッションは
【世界中の子どもが「自分の可能性は無限大!」と思え、未来にワクワクし、明るく楽しく生きられる環境を作ること】
です。

私は、自分が高校を辞めたときに、空っぽだった自分に将来の夢をくれたあのアフリカでツライ想いをして過ごしているような子ども達に、いつか支援をできるようになりたいと思っています。
それに結び付くような活動をとにかく始めようと、ライフミッションサポーターを仕事としてやっていこうと決めました。
でも、
いざ、活動を始めてみると、自分の価値観がフラットではなく、自分に向いていたり、まだ癒しが足りなく、
クライアントさんに対して
「もっと、うまくサポートしてあげたかった…」
と思うこともあり、怖くなることも…。
でも、私には、
自分のネガティブな気持ちや弱み、本音を話せる仲間がいるし、いつも優しくサポートしてくれるメンターがいて、学び成長していける環境があるので、勇気を出してチャレンジし続けられます。

私には、こんな安心・安全・ポジティブな環境が長らくありませんでした。
いつも、幼少期のツラかった思い出や、自分の言うとおりにしてくれない家族・夫のせいにして、自分にずっと言い訳をして生きていました。
そんな人生は楽だけど、自分らしく生きられないばかりか、本当の意味で誰かの役立てるものではなく、幸せにはなれません。
私は、安心・安全・ポジティブな場を作り、
誰もが「わたしらしく」生きられるようにサポートして、
それを見た子ども達が「大人って楽しそうだし、カッコイイなぁ!」と未来にワクワクしてくれるような世の中にしていきたいです。

わたしLabにできること

最後までお読みいただきありがとうございます♪
私の人生が大きく変わり、楽しく生きられるようになったように、
あなたも「わたしらしく楽しく生きられるように」変わることが絶対にできます!!
わたしLabでは、あなたが「わたしらしく生きる」ために、サポートをしています。
「こんなこと本当かな?」
って思いますよね(;’∀’)
私も、そうだったので(笑)、そのお気持ちよくわかります。
でも、
あと、1年後、3年後も、あなたの人生が今と変わらなかったらどうですか?
あなたの中に、蓋をしていることってないでしょうか?
「もし、だれも傷つけないとしたら、どんな人生を歩みたいですか?」

そんな、あれこれ、私と話してみませんか?

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